伝説の50'sロックンローラー、Buddy Holly

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Buddy Holly 『Buddy Holly Gold』 ♪本文末に記事に関連した動画有

■ 突然ですが、本日は2月3日ですよね。と言う事はDon McLeanが「American Pie」('71年全米1位)の中で"The Day the Music Died ♪(音楽が死んだ日)"と歌った日。つまり49年前、Buddy HollyをはじめRitchie ValensThe Big Bopper(J.P. Richardson)といった当時の人気ロックンローラー3人が飛行機事故で命を落とした日です。なので今回は、亡くなった3人の中でもその後のロックに最も影響を与え、今なお多くの人を魅了し続けている伝説のロックンローラー、バディ・ホリーを紹介したいと思います。

バディ・ホリーが後のロック・ミュージックに与えた影響として有名なのが、The Beatlesが確立したと言われるエレキ・ギター2本にベース、ドラムの4人といったロック・バンドの基本編成の原型(バディ・ホリーのバンド、The Crickets)を形作った点でしょう。ただ、レコーディングではそれほどこの基本編成が守られていた訳ではなく、ベースもエレキ・ベースではなくウッド・ベースが使用されていましたが...
それでもいくつかのセッションやライヴは、現にこの4人編成によって行なわれています。あえて付け加えるならば、バディ・ホリー最後のツアーとなった『Winter Dance Party』時に結成されたツアー・バンドは、Buddy Holly & The Cricketsと名乗りエレキ・ギター2本にエレキ・ベース、ドラムの4人編成でした。そう言えば有名な話ですが、The BeatlesというBeetle(カブト虫)をもじったバンド名は、憧れのThe Crickets(Cricket=コオロギ)にヒントを得て命名しているんですよね。
さらにその4人編成のバンド、クリケッツの楽曲のほとんどはプロのソングライターから提供されたものではなく自作曲でした。しかもメンバー全員が作曲をしています。この自作自演という点もビートルズ以降のロック・バンドのスタイルの先駆けと言えるでしょう。
これまで述べてきたのは目に見えるバディ・ホリーの影響ですが、実は最も重要なバディ・ホリーの影響と思われるのが、当時としてはまだ珍しい、自身の声やギターのダブル・トラッキング録音やストリングスのロックンロールへの導入等、常に新しいことを試みて自身の音楽性を発展させるというチャレンジ精神ではないでしょうか。
バディ・ホリーは'50年代後半の約2年という実に短い期間しか活躍していませんが、間違いなくロックンロールの重要なオリジネイターの1人と言えるミュージシャンです。

さて、バディ・ホリーのプロフィールは後述するとして、ここでCDを紹介しておきます。

CD:[試聴/Tower Records] [amazon]
ダウンロード:[試聴/iTunes Store]
Goldバディ・ホリーに関しては海賊盤も含め豊富な種類のCDが出回っていますが、まずはバディ・ホリーがロックンロールに目覚めた時期以降の音源とその全盛期のヒット曲から聴き込んでみる事をおすすめします。なので、今回はバディ・ホリーの入門盤として2枚組CD『Buddy Holly Gold』を紹介します。
内容は'54/'55年から'58年にかけて録音された音源で、バディ・ホリーがロックンローラーとしてスターダムにのし上がったBrunswick/Coral時代を中心に、デビュー以前のデモ音源(オーヴァー・ダブ版)とDeccaでのロカビリー時代、クリケッツと決別後死の直前に行なったホーム・レコーディング音源(オーヴァー・ダブ版)等で構成されています(全50曲)。
バディ・ホリーが生前に放ったヒット曲を全て網羅しているだけでなく、僅か3年ほどの間にみせた彼の著しい音楽的進歩を如実に実感できる作りになっているため、入門盤としてはこの上ないといった感じです。本作は多才なバディ・ホリーの魅力を十分満喫できる好編集盤と言えるでしょう。

※ その他バディ・ホリー関連のおすすめ
・CD『バディ・ホリー・ゴールド
上記紹介CDの国内盤
・CD『Gotta Roll! The Early Recordings 1949-1955
Buddy Hollyの初録音曲を含み、R&Rに転向した'55年までの貴重な音源を集大成したもの
・CD『ガッタ・ロール
前記CDの国内盤
・CD『Hollybilly: Buddy Holly 1956 - The Complete Recordings
デビュー曲を含むDeccaセッションや初のNorman Petty studiosセッション、ホーム・レコーディング音源等、ロカビリー時代のBuddy Hollyが'56年に録音した曲を集大成した2枚組
・CD『Not Fade Away: Buddy Holly 1957 Complete Recordings
正規の音源や別ヴァージョン、ライヴ音源、Buddy Hollyがリード・ギタリストとして参加した他のアーティストの曲等Buddy Hollyが'57年に録音した曲を集大成した3枚組
・DVD『バディ・ホリー・ストーリー
'56年から最後のステージまでを描いたBuddy Hollyの伝記映画('78年公開)
・DVD『The Real Buddy Holly Story
Paul McCartneyがプロデュースして'86年に放送されたBBCテレビ番組が基になっているドキュメンタリー(Buddy Hollyのライヴ映像の他、プライヴェイト映像、Elvis Presleyのラボックでのステージ映像等貴重な映像が満載)。

ところで、バディ・ホリーがその黄金時代に確立した、テキサス産のカラッと乾いた快活なバディ・ホリー・サウンドを特徴づける独創的な要素と言えば、斬新なギター・スタイルと抑揚のヴァリエーションが効いたヴォーカル・テクニック等が挙げられると思います。
バディ・ホリーのギター・スタイルはリード・ギターとリズム・ギターの要素を融合した個性的なもので、絶妙な力強さをたたえつつも決して重苦しくなることのない軽快さが魅力となっています。
他方、バディ・ホリーのヴォーカルは、高音と低音の巧みな使い分けやヒーカップ唱法、マンブリング唱法、その発展形とも言える単語に装飾音を加えて引き伸ばす唱法等を駆使した独特の器楽的歌唱法で、これらを単独あるいは組み合わせて用いることによって、1曲の中で唱法を絶え間なく変化させるリズミカルなものとなっています。
さらに、歌詞の内容が重視される様になった'60年代後半以降のロックとは違って、まだサウンドが主体だったこの時代においても、バディ・ホリーの曲は歌詞に主題を備えているものが多かったのですが、上記の歌唱法によって歌詞にスリリングな躍動感を付与し、歌詞の持つ繊細な感情的ニュアンスを完全に表現しきっている点は特筆すべきでしょう。
もちろん個々の歌唱法はバディ・ホリーが創始者という訳ではありませんが、歌詞の感情を効果的に訴えるそれらの絶妙な組み合わせ方はオリジナリティあふれるもので、全体としてヴォーカルとサウンドを見事に一体化させたバディ・ホリー・サウンドはやはり唯一無二と言えます。

(収録曲目)
※ ()内は米盤発表年(未シングル化=アルバム名併記、生前未発表=録音年)及びチャート

Disc 1
01 Down the Line('55年録音)
Elvis Presleyとの出会いを機にR&Rを志向する様になったBuddy Hollyが録音したRockabillyナンバー第1号。オリジナルの録音メンバーは、Buddy Holly(ヴォーカル&リード・ギター)、Bob Montgomery(ヴォーカル&ギター)、Larry WelbornもしくはDon Guess(ウッド・ベース)ですが、本ヴァージョンはさらに'64年にThe Fireballsの演奏がオーヴァー・ダブされたもの。このスピード感に満ちたスリリングな傑作Rockabillyは、同年Buddy & Bobが出演したダラスの人気ラジオ番組『The Big D Jamboree』でも披露されています。なお、先に挙げたCD『Gotta Roll!』のタイトルは、この曲の当初の曲名(「Gotta Roll」)から取られたものでした。また、この曲はThe Polecats('81年EP盤)やHillbilly Bops('87年『Hillbilly The Kid』)他多くの名カヴァーを生んでいます。
02 Soft Place in My Heart('54or'55年録音)
前曲と同じくBuddy & Bob時代の曲で、Buddy Hollyのルーツを明示するかの様なBob Montgomery作の美しいC&W曲。ちなみにここでフィドルを弾いているのは後の名ギタリストSonny Curtis。
03 Holly Hop('56年録音)
元々セッションのウォーミング・アップ用の曲だったため特に曲名はついていなかったのですが、Norman Pettyが'68年にThe Fireballsの演奏をオーヴァー・ダブした時に「Holly Hop」と名づけたカッコいいRockin'インスト(作者はBuddy Hollyの実母Ella Holley)。
04 Blue Days-Black Nights('56年)
Buddy Hollyの記念すべきDeccaからのデビュー・シングルで、メロディアスなSonny Curtisのギター・ソロとDon Guessのスラッピング・ベースの絡みが印象深いRockabillyナンバー。なお、作者であるBen Hallのヴァージョンは、オムニバスCD『Hep Cats from Big Springs』で聴けます。
05 Love Me('56年)
前曲のB面で発表されたA面同様にカッコいいRockabillyナンバー。Colbert Hamiltonによる強烈なヒーカップ混じりのカヴァーの印象が強いんですが、意外にもBuddy Hollyのオリジナル盤ではヒーカップ唱法は使われてないんですね。
06 Midnight Shift('58年『That'll Be the Day』)
未発表ながらSun Recordsでも録音経験のあるRockabillyシンガーLuke McDanielが変名で書いた曲で、前2曲と同じ第1回目のDeccaナッシュヴィル・セッションで録音されたミディアム・テンポのナイスRockabilly。
07 Baby, Won't You Come Out Tonight('56年録音)
後にBuddy Hollyの成功を支えた名プロデューサーとしてその名を残す、Norman Pettyのスタジオでの初セッション(2月)で録音された曲。まだ未完成ながらBuddy Hollyの特徴的歌唱技術の1つである、高音と低音の巧みな使い分けが初めて顕著に現れた事に加え、Sonny Curtisのスリリングなギター・ソロもクールにキマった傑作Rockabilly。
08 Changing All Those Changes('56年録音)
前曲同様まだまだ控えめながら、高音と低音を絶妙に使い分けているBuddy Hollyの歌唱が魅力的なRockabillyナンバー。こちらはNorman Pettyのスタジオで4月に録音された曲ですが、やはりRockabillyとしては傑作といえる出来。
09 I'm Gonna Set My Foot Down('56年録音)
前曲と同じセッションで録音されたRockabillyナンバーで、ここでは子供っぽい甘えた口調で単語に装飾音を加えて繰り返すBuddy Holly独特の歌唱が披露されています。'56年のNorman Petty Studiosでの録音曲は当時全て未発表となりますが、Buddy Hollyが徐々に独自の歌唱スタイルを確立していっている様が如実に表れており、この一連のセッションがいかに重要なものだったかが窺えます。
10 Rock Around with Ollie Vee('57年)
Norman Petty Studiosでの試行錯誤が実を結んだBuddy HollyのRockabilly時代の最高傑作が、2回目のDeccaセッションで録音されたこの曲(発表は1年以上後)。全体としてワイルドにシャウトするBuddy Hollyの歌いっぷりは絶品で、音程を1オクターヴ急降下させて口走るマンブリング唱法は鳥肌ものです。さらに絶妙なタイミングでのヒーカップ唱法はKnock Out必至。もちろんバックの演奏も完璧で、Sonny Curtisのスピーディでエキサイティングなギター・ソロ、強烈なバック・ビートを刻むJerry Allisonのタイトなドラミング、バッチリ決まったDon Guessのスラッピング・ベースと言う事なし。なお、この曲は、Brunswick Recordsでの1stシングル「That'll Be the Day」(Norman Petty Studios録音)がヒットした後に発表されたDeccaでの3rdシングルなんですが、ヒットの恩恵に与ろうとしたのか、B面はA面と同じセッションで録音された「That'll Be the Day」でした。余談ですが、曲名のOllie Veeという名前は、Sonny Curtis(作者)の父の農場で働いていたWillie Robertsonという人の奥さんの名前、Ollie Vee Robertsonから取られているそうです。
11 Girl on My Mind('58年)
前曲と同じセッションで録音されたDeccaからの5thシングルで、「I'm Gonna Set My Foot Down」で見せた歌唱法をさらに大胆に取り入れた切ないロッカバラード。
12 Ting-A-Ling('58年)
前2曲と同じセッションで録音された、名門Doo WopグループThe Cloversの'52年R&B1位曲をRockabillyアレンジでカヴァーしたもの(前曲のB面)。高音と低音の使い分けや装飾音の繰り返し等Buddy Hollyの歌唱技術を駆使した名カヴァーで、間奏では「That'll Be the Day」風のギター・リフも聴こえてきます。ちなみに、コネチカット出身のDoo WopグループThe Nutmegsのヴァージョン(未発表)では、ベース・ヴォーカルがリードを務めるかなりクールなカヴァーになっています。その他Buddy Hollyの死後、Earl Sinksをヴォーカルに据えた新生The CricketsによるBuddy Holly盤を参考にしたカヴァーも有('60年『In Style With The Crickets』)。
13 Modern Don Juan('56年)
最後となった3回目のDeccaセッションで録音されたサックス入りのマイルドなR&R(Deccaからの2ndシングル)。
14 Brown Eyed Handsome Man('56年録音)
Chuck Berryの'56年R&B5位曲を取り上げたもので、Buddy Hollyの疾走感あふれるギター・ソロと小気味いいヴォーカルが魅力のオリジナルに勝るとも劣らない傑作カヴァー。
15 That'll Be the Day('57年全米1位)
言わずと知れたR&R史に残る大傑作で、Brunswick Recordsから1stシングルとして発表されたThe Cricketsのデビュー曲。但し、一般にThe Cricketsとして知られる4人のメンバーの内、Joe B. Mauldin(ウッド・ベース)はまだ参加しておらず、Niki Sullivan(リズム・ギター)もバック・コーラスのみの参加となっています。元々は映画『The Searchers』('56年)を観に行ったBuddy HollyとJerry Allisonが、劇中主役のJohn Wayneが繰り返し使った“That'll be the day!”というセリフにインスパイアされて作った曲で、早速前記ナッシュビル・セッションで録音を試みるも、プロデューサーOwen Bradleyから「今まで聴いた中で最低の曲だ」と言われてしばらくお蔵入りとなっていた曲でした。本盤収録ヴァージョンは、それを新たにNorman Petty Studiosで録音し直したもの。高めの声で歌われスラッピング・ベースを強調したRockabilly調のDecca盤との差は歴然で、ここでのBuddy Hollyの適度に抑制された高音と低音の使い分けや装飾音の繰り返し、ヒーカップ唱法等のヴォーカル・テクニックと黒っぽさをたたえたブルージーなギター・リフのカッコよさは天下一品。ちなみにこの曲は、Buddy Hollyに多大な影響を受けたThe Beatlesの前身、The Quarrymenが最初に作ったレコード('58年)としても有名。
16 I'm Lookin' for Someone to Love('57年)
Buddy Hollyの音楽性がRockabillyから独創的なR&Rへと発展を遂げる過渡期的作品がこの曲(前曲のB面)。Buddy Hollyの奏でるスリリングなRockabillyギターに象徴される様に曲調は完全にRockabillyですが、意図的だったのかDecca時代と異なり、バック・コーラスが入っていてLarry Welbornのベースもスラッピング奏法は使っていません。強いて言うならかなり洗練されたRockabillyといった感じ。なお、この名曲は、The Stray Catsがアルバム『Rock Therapy』('86年)でカヴァーしています。
17 Worlds of Love('57年)
Buddy Hollyが初の試みとして自身のヴォーカルとギターをダブル・トラッキング録音した意欲的な作品で、Buddy Hollyソロ名義によるCoral Recordsからの1stシングル。この曲はテックス・メックス(米南西部音楽とメキシコ音楽の融合音楽)に影響を受けた穏やかなラヴ・ソングですが、前曲から2ヶ月も経たない内に録音されているというから驚きです。Buddy HollyがElvis Presley(Rockabilly)の影響から完全に脱して新たな段階に向かって歩み出した記念碑的作品であるにもかかわらず、残念ながらヒットさせることは出来ませんでした。が、同年すかさずThe Diamondsにカヴァーされてヒット(全米13位)を記録した他、The Beatlesがアルバム『ビートルズ・フォー・セール』('64年)でカヴァーしています。
18 Not Fade Away('57年)
本来はBuddy HollyがThe Everly Brothersのために書いた曲のデモ録音だったもの(「Oh, Boy!」のB面)。Bo Diddleyのジャングル・ビートを取り入れた曲ですが、Buddy Hollyお得意のヒーカップ唱法やJerry Allisonがドラム代わりに段ボール箱を叩く事で独自の軽快さを織り込んでいるのは流石。
19 Everyday('57年)
ノスタルジックな青春映画『スタンド・バイ・ミー』('86年)の中でも効果的に使われていたチャーミングなBuddy Hollyナンバー(「Peggy Sue」のB面)。Norman Pettyの妻Vi Pettyが弾くチェレスタ(楽器)とJerry Allisonが膝を叩くパーカッションが特徴的で、何とも言えないほのぼの感を醸し出しています。もちろん、装飾音の繰り返しやヒーカップ唱法等Buddy Hollyのヴォーカル・テクニックも絶妙。この曲はBuddy Hollyフォロワーの代表格Bobby Veeが'60年にカヴァーしています。
20 Tell Me How('57年『The "Chirping" Crickets』)
元々は上記The Cricketsの1stアルバム収録曲だったものを後に「Maybe Baby」のB面としてシングル・カットした曲。The Cricketsと言うとそのアルバム・ジャケットに写っている4人編成という印象が強いのですが、先に触れた通り当初はJoe B. Mauldinも加入しておらず、Niki Sullivanも毎回レコーディングに参加している訳ではなく、しかも今まではバック・コーラスのみの参加でした。この曲のセッション('57年6月)で初めてNiki Sullivanがエレキ・ギターによるリズム・ギターを担当して、真にThe Cricketsのレコーディングが実現した訳です。で、曲の方はBuddy Holly独自の歌唱技術もますます磨きがかかったストレートなR&R(隠れた名曲)。
21 Ready Teddy('58年『Buddy Holly』)
オリジナルのLittle Richard('56年全米44位)やElvis Presley盤('56年『Elvis』)に対抗するかの様に、Buddy HollyがR&Rの原点に立ち返って激しく唸ったカヴァー。
22 Listen to Me('58年)
「I'm Gonna Love You Too」のB面で発表された「Words of Love」と似た雰囲気の曲。この曲でもBuddy Hollyが自身のヴォーカルとギターをオーヴァー・ダビングしているためNiki Sullivanの出番はありませんでした(T_T)。
23 Oh, Boy!('57年全米10位)
エネルギッシュな歌唱を印象付けておいて各フレーズの最後で急に甘えた様な声を出したり、合間にヒーカップ唱法を効果的に交えてみたりとBuddy HollyのヴォーカルがノリまくったThe Cricketsの2ndシングル(大傑作)。後にも先にもこの抑揚のヴァリエーションはBuddy Hollyしか出せません。なおこの曲は、RockabillyシンガーSonny Westの「All My Love」(未発表)を一部歌詞を変えて取り上げたものですが、レコード化されたのはBuddy Holly盤が最初。その後The Stray Cats('93年『Original Cool』)等にカヴァーされています。
24 It's Too Late('57年『The "Chirping" Crickets』)
Chuck Willisの名作バラード('56年R&B3位)をカヴァーしたもの。
25 Peggy Sue('57年全米3位)
Buddy Hollyのソロ第2弾で、紛れもないR&Rの大名曲。Buddy Hollyのカラッとした力強いギター・ソロと持てるテクニックを全て駆使したヴォーカル、Jerry Allisonのドライヴ感溢れるドラミングと全てが究極的。この曲は当初Buddy Hollyが彼の姪(姉Patriciaの娘 )のために作ったもので、彼女の名前を冠した「Cindy Lou」というカリプソ調の曲でした。ところがJerry Allisonが恋人のPeggy Sue Gerronとケンカしたため、仲直りの口実に「Cindy Lou」を「Peggy Sue」に変えて欲しいとBuddy Hollyに頼みます。困ったBuddy Hollyは出来っこないと思い、曲中速いビートでドラムを連打し続ける事が出来たら変えてもいいと返答したそうです。その後どうなったかはご存知の通りですが、2人のケンカがなかったらこの傑作は生まれなかったんですね。なおこの曲は、John Lennon('75年『ロックンロール』)やHillbilly Bops('88年「Public Menu」)等がカヴァーしています。前者は数あるこの曲のカヴァーの中でも最高峰の出来。

Disc 2
01 I'm Gonna Love You Too('58年)
出だしの一気に流れ落ちる様なギター・ソロとそれに続くナンセンス・シラブルが特徴的なBuddy Hollyのソロ第3弾。典型的なBuddy Hollyサウンドに仕上がっていますが、何故かチャート入りを逃した不運の曲。但し、本国以上にBuddy Holly人気が高い英国では、全英16位とそれなりの評価を受けている点が救いでしょうか。
02 Look at Me('58年『Buddy Holly』)
Vi Pettyのピアノを全面的にフィーチャーしたキャッチーなナンバー。
03 Little Baby('58年『Buddy Holly』)
前曲同様ピアノ(C.W. Kendall Jr.)を全面的にフィーチャーしたナンバー。但し音的にはR&B色が強く、例えて言うなら軽やかに弾むピアノは、'60~'70年代のニュー・オーリンズR&B/Soulの立役者Allen Toussaintを思わせる様な感じ。
04 You've Got Love('57年『The "Chirping" Crickets』)
この曲はRoy Orbisonと彼のバンドThe Teen Kingsのリズム・ギタリストJohnny Wilsonの共作曲を取り上げたもので、The Cricketsが全米ツアー(『The Biggest Show of Stars of '57』)の真っ最中だったため、Norman Petty StudiosではなくオクラホマのTinker空軍基地で録音(5、6も)されています。そしてこれがNiki Sullivanが参加した最後のレコーディング('57年9月28日)。ちなみに、作者のJohnny Wilson盤は同年5月26日に録音されていますが、シングル発売(Peanuts Wilson名義)はThe Cricketsの上記アルバム発売日と同じ11月27日でした。The Crickets盤はやはりBuddy Holly独特の歌唱が魅力的で、Peanuts Wilson盤に比べてスマートな感じに仕上がっています。なおこの曲は、英国のR&RシンガーMarty Wilde('59年『Wilde About Marty』)等もカヴァーしています。
※ Johnny Wilsonについては、RICさんのブログ[ROCKABILLY-A-GO-GO!]で詳述されているので興味がある方はそちらを参考にして下さい。 
05 Maybe Baby('58年全米17位)
「That'll Be the Day」と共に映画『アメリカン・グラフィティ』('73年)でも使用されたBuddy Hollyの代表曲の1つで、アルバム『The "Chirping" Crickets』からシングル・カットされたThe Crickets名義の3枚目。この曲は'57年3月12日に最初のヴァージョンを録音していますが、その時はBuddy Hollyの声が終始高めで、ギター・フレーズは単調、そしてリズムは引っ掛かり気味の野暮ったい感じのものでした。対してここではBuddy Hollyのヴォーカルが冴えまくり、独創的でカッコいいギター・リフも登場する傑作R&Rに生まれ変わっています。
06 Rock Me My Baby('57年『The "Chirping" Crickets』)
個人的に大好きなBuddy Hollyナンバーで、穏やかな歌い出しとエキサイティングな盛り上がりが交互する最高にカッコいいR&R。特に、間奏のギター・ソロが一旦ブレイクした後再開する部分は何度聴いてもシビレます。
07 You're So Square (Baby, I Don't Care) ('58年『Buddy Holly』)
プール・サイドで歌うElvis Presleyの姿が忘れられない、彼の主演映画3作目『監獄ロック』('57年)挿入歌を忠実にカヴァーしたもの。
08 Rave On('58年全米37位)
ハードなRockerとしてのBuddy Hollyの真骨頂と言えそうな傑作曲で、アルバム『Buddy Holly』からシングル・カットされたソロ名義4作目。元々は「Oh, Boy!」がヒットしたお陰で作者として一躍名前が知れ渡り、Atlantic Recordsと契約したSonny West盤('58年)がオリジナル。サックスが入ったPopな印象のSonny West盤に対してBuddy Holly盤は、冒頭のマンブリング唱法とヒーカップ唱法を融合させた様なヴォーカルだけで昇天しそうなドライヴ感あふれる極上のR&R。それにしてもこの曲や「Maybe Baby」はアルバムが先行発売されていたためか、本国でのチャート成績は評価不足の感がありますよね。英国ではそれぞれ全英5位、全英4位と正当に評価してくれているのに...そう言えば、この名曲は日本初のNeo Rockabillyバンド、ブラック・キャッツのデビュー・シングルB面曲「夢のビッグ・マシン」('81年)の元ネタとしてもおなじみですね。
09 Fool's Paradise('58年全米58位)
「Think It Over」のB面ながらチャート・ヒットを記録したチャーミングなナンバー。
10 Take Your Time('58年)
Jerry Allisonお得意の段ボール箱によるパーカッションとNorman Pettyのオルガンがソフトな印象を与える好曲(「Rave On」のB面)。
11 Well...All Right('58年)
Buddy Hollyが所謂R&Rアーティストからさらに進歩を遂げようとしている姿勢が窺えるユニークな曲で、アコースティック・ギターを掻き鳴らしながら切々と歌うBuddy Hollyが印象的なナンバー(「Heartbeat」のB面)。何でも曲名は、前年パラマウント・シアターのショーで共演したLittle Richardが、口癖の様に繰り返し使っていた“Well All Right”というフレーズに由来するんだとか。なおこの曲はBobby Vee(『Bobby Vee Meets the Crickets』)等がカヴァーしています。
12 Think It Over('58年全米27位)
間奏の重く響くVi Pettyによるピアノ・ソロが印象的なThe Cricketsの4thシングル。多分この曲にインスパイアされたと思えるのですが、Hillbilly Bopsの「5時からのレボリューション」('87年『Hillbilly The Kid』)の出だし部分はこの曲にソックリです(曲の大部分は中期以降のThe Beatlesっぽいんですが...)。
13 Early in the Morning('58年全米32位)
Gospelの影響をたたえたBobby Darinの曲をカヴァーしたBuddy Hollyのソロ5作目なんですが、実はBuddy Hollyがこの曲をカヴァーするに至った経緯が少々ややこしいんです。前年DeccaからAtcoに1年契約で移籍したBobby Darinは、ヒットが出せないまま契約満了日を迎えようとしていたため、契約更新は無理だと思い古巣のDeccaにアプローチしてAtcoとの契約満了日前にこの曲を録音します('58年4月24日)。その後5月27日にDeccaの子会社BrunswickからThe Ding Dongs名義で発表するとヒットの兆しをみせ始めるんですが、同時にAtcoの知る所となり法的手段をちらつかせてAtcoがDecca側からマスター・テープを回収します(6月17日)。ヒット性を確信していたDecca側も諦めがつかず、6月19日にB面曲「Now We're One」共々慌ててBuddy Hollyにカヴァーさせ、子会社Coralから7月5日に発表します。しかもThe Ding Dongs盤と全く同じニューヨークのスタジオ(Pythian Temple Studios)とミュージシャン、プロデューサー(Dick Jacobs)を使って。その後最終的にAtcoがBobby DarinのオリジナルをThe Rinky-Dinks名義で発表。チャート的にはThe Rinky-Dinks盤が全米24位と勝利しますが、個人的にはエネルギッシュなヴォーカルが魅力のBuddy Holly盤が好み。
14 Heartbeat('58年全米82位)
Buddy Hollyのソロ6枚目となったトロピカルなムード漂う甘くしなやかな曲。このセッションからTommy Allsupがリード・ギターを担当。この曲は、英国のDoo Wop系Oldies RevivalグループShowaddywaddyが'75年にカヴァー・ヒットさせています(全英7位)。
15 It's So Easy('58年)
前曲と同じセッションで録音されたThe Cricketsの5枚目。高音と低音の使い分けやヒーカップ唱法を豪快にキメたBuddy Hollyのヴォーカルに、Tommy AllsupのギターとThe Rosesのバック・コーラスでPopな味付けを施した名作R&R。この曲がノン・ヒットとは合点がいきませんが、「That'll Be the Day」をカヴァー・ヒット('76年全米11位)させたLinda Ronstadtが'77年にこの曲を再度ヒット(全米5位)させています。
16 Wishing('58年録音)
Buddy HollyとBob Montgomeryが書いた曲をThe Everly Brothersのためにデモ録音したもの(次曲も)。このセッションにBuddy HollyとTommy Allsup以外The Cricketsのメンバーは参加しておらず、George Atwood(ウッド・ベース)、Bo Clarke(ドラム)がリズム・セクションを担当。デモ録音であるため完全版とは言えないかもしれませんが、思いを寄せる女の子と上手くいく様に星に願いを込めるといったロマンティックな歌詞をミディアム・テンポのマイルドなR&Rグルーヴに乗せて歌った佳曲となっています。なおこの曲は、Buddy Hollyの死後'63年にシングル発売され英国でのみヒットを記録しました(全英10位)。
17 Love's Made a Fool of You('58年録音)
「Not Fade Away」よりもさらに穏やかなジャングル・ビートによるBuddy Hollyの隠れた傑作曲(前曲と同じセッション)。The Everly Brothersが歌うことを想定してか、前曲同様部分的にBuddy Holly自身の声をオーヴァー・ダブしているのも効果的だし、Tommy Allsupの切れ味鋭いギターもかなりクール。この曲は、Buddy Hollyと決別したThe CricketsがEarl Sinksをリード・ヴォーカルに迎えて録音('58年12月)しており、Buddy Hollyの死から約1ヵ月後に新生The Cricketsの第1弾シングルとして発売されています(Buddy Holly盤とは違ったアレンジ)。
18 Reminiscing('58年録音)
作者でもありこの曲でサックスを吹いている名奏者、King CurtisをわざわざクローヴィスのNorman Petty Studiosまで呼び寄せて録音したという曲。King Curtisのサックスを全面的にフィーチャーしたこの曲は、残念ながらBuddy Holly在籍時のThe Cricketsとして最後のレコーディング曲となってしまいました。そして、Buddy Hollyの死後'62年にシングル発売され、英国でのみヒットを記録しています(全英17位)。だからかどうか分かりませんが、The Beatlesが'62年にハンブルクのThe Star Clubでのライヴで演奏しているんですよね。
19 True Love Ways('58年録音)
Buddy Hollyがまたしても新たな挑戦を試みた?曲。オーケストラをバックに配したR&R時代以前のポピュラー・ミュージック風の曲で、好き嫌いは別れるかもしれませんが曲自体はこの上なく美しい仕上がりです。この曲はBuddy Hollyの死後'60年にシングル発売され、やはり英国でのみヒットを記録(全英25位)。'65年にPeter & Gordonがカヴァー・ヒットさせています(全米14位、全英2位)。
20 It Doesn't Matter Anymore('59年全米13位)
前曲と同じセッションで録音されたBuddy Holly生前最後のシングル(ソロ7枚目)。演奏には参加していないものの、セッションの場にはこの曲の作者であるPaul Ankaの他、虫の知らせか、The Cricketsのメンバーが居合わせたとか。曲の方はBuddy Hollyが新境地を開いた大傑作と言えるもので、オーケストラ演奏とR&Rの躍動感が見事調和した誰にも真似の出来ない曲になっています。この曲はBuddy Hollyの死後、追悼の意味合いもあって英米共に大ヒットとなっていますが、英国では「That'll Be the Day」以来のNo.1ヒットを記録。また、Hillbilly Bopsの「真夜中をつっぱしれ」('87年)にはこの曲の影響が感じられます。
21 Raining in My Heart('59年全米88位)
元々The Everly Brothersのために書かれたというセンチメンタルなナンバー(前曲のB面)。
22 Peggy Sue Got Married('58年録音)
元々は'58年12月にニューヨークの自宅アパートで、Buddy Hollyが弾いたアコースティック・ギターのみの伴奏で録音された「Peggy Sue」の続編。それをJack Hansenのプロデュースのもと、バック・コーラスと演奏がオーヴァー・ダブ('59年6月)されたヴァージョンで、Buddy Hollyの死後最初のシングルとして'59年7月に発売されています(全英13位)。但し本盤収録ヴァージョンは、'63年にNorman PettyによってThe Fireballsの演奏とコーラスがオーヴァー・ダブされたもので、少し「Peggy Sue」を意識したアレンジになっているのが特徴的。そう言えば、'60年に発表されたDavid Boxがリード・ヴォーカルのThe Crickets盤はモロ「Peggy Sue」サウンドによるカヴァーでした。この曲を含め、Buddy Hollyの死の直前にホーム・レコーディングされた曲は全ていい曲なだけに、Buddy Holly自身の手によって完成させられなかったのが悔やまれます。ちなみにアコースティック・ギターのみのオリジナル・ヴァージョンは、この曲のタイトルを冠した'86年の映画『Peggy Sue Got Married』(邦題『ペギー・スーの結婚』)の主題歌として使われています。
23 Crying, Waiting, Hoping('58年録音)
本盤収録曲は、前曲同様3つのヴァージョンが存在する中のNorman Pettyによるプロデュースのヴァージョンで、Jack Hansenのプロデュース盤は前曲のB面として発表されています。この曲はThe BeatlesがDeccaオーディションで演奏した('62年)曲として有名で、さらにBuddy Hollyと共に飛行機事故で亡くなったRitchie Valensの伝記映画、『ラ・バンバ』('87年)ではBuddy Hollyを演じたMarshall Crenshawが披露していました。あくまで推測ですが、もしBuddy Hollyがこの曲を仕上げていたら、彼の後期を代表する傑作R&Rになっていたと思われます。
24 Learning the Game('58年録音)
この曲も'58年12月に自宅アパートでホーム・レコーディングされたもので、Jack Hansenのプロデュース・ヴァージョン('60年オーヴァー・ダブ)とNorman Pettyのプロデュース・ヴァージョン('63年オーヴァー・ダブ)が存在します。本盤収録曲はNorman Pettyヴァージョンですが、出しゃばった演奏等は一切加えられておらず、Buddy Hollyの描いていた完成形にかなり近いものではないでしょうか。Buddy Hollyの悲しげな歌唱が心にしみる知られざる名曲。
25 What to Do('58年録音)
本盤収録曲も前曲同様3つのヴァージョンが存在する中のNorman Pettyヴァージョン。ここでのNorman Pettyの手腕も素晴らしく、ソフト&スウィートなBuddy Hollyの魅力が十分活かされた名曲に仕上げています。個人的に昔から大好きな曲ですが、欲を言えばBuddy Hollyが(多分The Cricketsと一緒に)完成させたヴァージョンを聴いてみたいものです。


※ 参考までに主なBuddy Hollyトリビュート盤を記しておきます
・『I Remember Buddy Holly』/Bobby Vee
最も有名なBuddy Hollyフォロワーによるトリビュート盤('63年)
・『Buddy's Buddy』/Jimmy Gilmer
「Sugar Shack」('63年全米1位)のヒットで有名なNorman Pettyお抱えシンガーによるトリビュート盤('64年)
・『Sings Buddy Holly』/Skeeter Davis
カントリー・ポップの歌姫によるトリビュート盤('67年)
・『Buddy Holly』/The Hollies
ボーナス・トラック2曲はBuddy Hollyの声にThe Holliesの演奏を加えたもの('80年)
・『バディ・ホリー』/ホリーズ
前記CDの国内盤
・『Not Fade Away』/Various Artists
The CricketsやWaylon JenningsといったBuddy HollyゆかりのアーティストやLos Lobos、Dave Edmunds他が参加した豪華なトリビュート盤('96年)
・『The Buddy Holly Sound of Ray Ruff』/Ray Ruff
Buddy Hollyナンバーは4曲のみですが、Buddy HollyイミテイターによるBuddy Hollyサウンドを集大成した編集盤
■ Buddy Hollyについて

Buddy Holly('36年9月7日~'59年2月3日)ことCharles Hardin Holley(本名)は、4人兄弟の末っ子としてテキサス州ラボックで生まれ育っています。一家が音楽好きだった影響でバディ・ホリーの音楽体験も早く、4歳でヴァイオリンとピアノを弾き始め、5歳の頃には2人の兄と出場したタレント・コンテストでAlbert Brumley作のブルー・グラス曲、「Down the River of Memories」を歌って5ドルの賞金を獲得するというエピソードも残されています。
その後7歳でギターに出会ったバディ・ホリーは、ラジオから流れるC&Wに夢中になりギターの練習に励みます。好きが高じて'49年には自らアコースティック・ギターを弾いて歌った、Hank Snowの「My Two Timin' Woman」('48年)をホーム・レコーディング。これがバディ・ホリーの初録音といわれています。
さらにこの時期、その後のバディ・ホリーにとって重要な2人の人物と出会っています。いずれもバディ・ホリーが通っていたHutchinson Junior High Schoolの生徒で、まず'49年秋にBob Montgomery('37年5月12日生)と、そして'50年にJerry Allison('39年8月31日生)と知り合っています。ただ、ボブ・モンゴメリーとは即座に音楽活動を共にしますが、ジェリー・アリソンとはまだ顔見知り程度の間柄だった様です。

バディ・ホリーの音楽活動がより活発化するのは'53年に入ってからでした。9月10日に2つ年上の友人Jack Nealと2人で地元のラジオ局KDAVの番組『The Sunday Party』に出演して歌った事がきっかけとなり、11月8日に同局から日曜午後の番組を与えられ、バディ・ホリージャック・ニールの2人で『The Buddy & Jack Show』を開始します。その後間もない'53年末には、ジャック・ニールに代わってボブ・モンゴメリーを新たなパートナーとして迎え番組名を『The Buddy & Bob Show』に変更。
この時既にC&WデュオBuddy & Bobを結成していたバディ・ホリーボブ・モンゴメリーは、番組で“Western & Bop”と呼んだ自分達の歌を披露し、ローカル・クラブや高校のダンス・パーティー等でも頻繁に演奏していたので地元ではちょっとした有名人となっていました。その事を物語る様に、ボブ・モンゴメリーの曲(Don Guessと共作)「Flower of My Heart」がLubbock High School'54年卒業生のクラス・ソングとなり、卒業年鑑にも掲載されたというエピソードが残されています。
そして、その'54年にはバディ・ホリーの音楽活動が一段の発展をみせており、ラボックから200マイルほど離れたウィチタ・フォールズにあるNesman Recording Studiosでラジオ放送用のレコーディングを行ない始めます('55年にかけて5回のセッション)。

ネスマン・スタジオの主なセッション・メンバー:
Buddy Holly(リード・ギター&ヴォーカル)
Bob Montgomery(ヴォーカル&ギター)
Sonny Curtis(フィドル又はリード・ギター)
Larry Welborn(ウッド・ベース)
Don Guess(ウッド・ベース又はスティール・ギター)
Buddy Hollyの幼なじみ
Jerry Allison(ドラム)
'55年から参加

固定メンバーによるバンド結成とまではいかないまでも、とりあえずバディ・ホリーを中心としたセッション・メンバーが出揃う訳です。当初このメンバーが録音していた曲はC&Wそのものだったのですが、バディ・ホリーの音楽的方向性を大きく変える年となったのが'55年でした。つまり、Elvis Presleyのパフォーマンスを目の当たりにしたバディ・ホリーが大きなショックを受け、ロックンロールを志向し始めたのが'55年だったのです。具体的には、'55年2月13日に初めてエルヴィス・プレスリーのライヴで前座を務めたのを皮切りに、6月、10月、11月と4回もエルヴィス・プレスリーと共演しています(バディ&ボブとして)。ちなみにライヴ会場は全てラボックのFair Park Coliseum。それにしても、保守的で小さな田舎町ラボックに年4回もエルヴィス・プレスリーが来てライヴを行なったとは驚きですね。これなら'55年という年はエルヴィス・プレスリーが生涯で最もライヴ活動を行った年で、1年の内200日近くライヴを行なったという話も頷けます。
で、エルヴィス・プレスリーの影響が実際にバディ・ホリーのレコーディングに表れたのが、エルヴィス・プレスリーの2回目の前座を務めた6月3日のライヴの4日後に行なわれたセッションでした。この時バディ・ホリー初のロカビリー・ナンバー「Down the Line」やエルヴィス・プレスリーが1ヶ月程前に発表した傑作ロカビリー「Baby Let's Play House」(「I Wanna Play House with You」)他を録音しています。なお、後者はジェリー・アリソンが初めてバディ・ホリーと一緒にレコーディングした曲と言われています。

さて、バディ・ホリーが水面に浮上する日が刻々と迫ってきていますが、その発端は'55年10月14日にラボックのFair Park Coliseumで行なわれたBill Haley & His Cometsのショーで、バディ&ボブLarry Welbornの3人が前座を務めた時でした(翌15日はエルヴィス・プレスリーの3回目の前座)。バディ・ホリーに目をつけた、Marty Robbinsのマネージャーでもあり、そのショーを仕切っていたEddie Crandallの紹介によってDecca Recordsとの契約が決まります('56年1月)。
ところで、芸名が本名のCharles Hardin HolleyではなくBuddy Hollyとなった経緯ですが、ファースト・ネームのBuddyは幼い頃から母親に呼ばれていた彼の愛称だったそうです。ラスト・ネームのHollyは、Deccaとの契約を締結した後(2月8日)に送られてきた契約書の名前がHolleyではなく誤ってHollyとなっていたにもかかわらず、契約書を送り返したらDecca側の気が変わるかもしれないと思ったバディ・ホリーが訂正を求めなかったため、Buddy Hollyとなったと言われています。その背景には、1月26日に行なわれたバディ・ホリーのDeccaでの最初のセッションの出来にDecca側が不満を持っていたという事情があった様です。

何はともあれ、'56年4月バディ・ホリーとして「Blue Days-Black Nights」でめでたくDeccaからデビューを飾りますが、契約期間中に出した2枚のシングルはほとんど話題にもならずDeccaとの関係も1年程で終焉を迎えます(全3回のセッション)。
表面上の成果としては'56年は散々な年だったのかもしれませんが、Decca時代にも名曲を残しているし、12月のニュー・メキシコのライヴからNiki Sullivan('37年6月23日~2004年4月6日)がリズム・ギタリストとしてバディ・ホリーのバンドに加わった事、そして何よりも2月にニュー・メキシコ州クローヴィスにあるNorman Petty Studiosで初めてレコーディングを行ない、ノーマン・ペティと接近した事は大きな成果だったと言えるでしょう。
 
'57年に入ると、まず大きな出来事として、2月25日にDecca時代にボツになった「That'll Be the Day」をノーマン・ペティ・スタジオで再度録音し直します。その直後の3月2日、ニュー・メキシコのThe Elk Clubで行なわれたライヴからJoe B. Mauldin(ウッド・ベース)がバディ・ホリーのバンドに加入。ここにめでたく歴史に残るロックンロール・バンド、クリケッツが誕生する訳です。

The Crickets
Buddy Holly(ヴォーカル&リード・ギター)
Tommy Allsup加入後はリズム・ギター
Jerry Allison(ドラム)
Joe B. Mauldin(ウッド・ベース)
Larry WelbornのバンドThe Four Teens出身
Niki Sullivan(リズム・ギター)
Buddy Hollyとは遠い従兄弟同士、'57年12月脱退→'58年5月Tommy Allsupがリード・ギタリストとして加入

そこで今度はレコード会社探しです。2月に録音した「That'll Be the Day」のテープをいくつかの大手レーベルに送りますがどこも全く興味を示しません。そんな中、ニューヨークの音楽出版社、Peer Southern Organization Publishingを経営するMurray Deutschを通じて「That'll Be the Day」のテープを耳にしたCoral Recordsのディレクター、Bob Thieleだけがこの曲を大いに気に入ります。すぐさまCoralと契約する事になるのですが、お払い箱になったDeccaの子会社レーベルというのも皮肉なものですね。
ただ一つだけ問題があって、Deccaとの取り決めで未発表曲を含めてDeccaセッションで録音した曲は、5年間他のレーベルから発表できなくなっていたのです(再録ヴァージョン含む)。なので苦肉の策としてバディ・ホリー名義ではなく、さらにCoralではなく同じくDeccaの子会社Brunswick Recordsからクリケッツ名義で'57年5月に「That'll Be the Day」を発表しています。
その後は、バディ・ホリーの才能を出来るだけ引き出そうとしたノーマン・ペティの戦略ともボブ・シールの指示とも言われていますが、クリケッツ名義のレコードはBrunswickから、バディ・ホリー(ソロ)名義のレコードはCoralからリリースされる事になります。両者のレコードで音楽性に違いを持たせていますが、バディ・ホリー名義の曲も演奏は基本的にクリケッツによるものでした。

8月に「That'll Be the Day」が全米チャートに登場し、9月にNo.1に輝くとバディ・ホリークリケッツは一躍スターの仲間入りを果たします。以降'58年にかけてヒットを連発しての大活躍ぶりは多くの方がご存知の通り。もちろんこれらの時期にはテレビ出演やパッケージ・ツアー等にも大忙しでした。ちなみに、ニキ・サリヴァンクリケッツを脱退した理由は、正にツアーに明け暮れる生活に嫌気がさしたからだそうです。
ツアーと言えば、'58年初頭にクリケッツは海外ツアーまで敢行してるんですよね。1月30日~2月5日にオーストラリア・ツアー、3月1~25日にイギリス・ツアーという具合に。今なお衰えない世界的規模のバディ・ホリー人気を決定付けたのはこれらの海外ツアーだったと言えるでしょう。イギリスでは現地到着日(2月28日)早々、テレビ番組『Cool for Cats』にまで出演しています。チャート成績が示す様に本国以上にバディ・ホリーの人気が高いイギリスでは、このツアーをきっかけに、音楽のみならずバディ・ホリー・スタイル(黒縁メガネやフェンダー・ストラトキャスター等)に影響を受けた次世代のミュージシャンも数知れません。

'58年後半にはプライヴェート面でおめでたい話題が続きます。まず、7月22日ジェリー・アリソンPeggy Sue Gerronと結婚。続いて8月15日にはバディ・ホリーがプエルトリコ出身のMaria Elena Santiagoと結婚します。マリア・エレナはPeer Southern Organization Publishingの受付嬢だった女性で、初めて出会ったのがこの年の6月というから、今でいう電撃婚というやつでしょうか。それはそうとPeer Southern Organization Publishingは「That'll Be the Day」が世に出るきっかけを与えたばかりでなく、バディ・ホリーに最愛の女性との出会いも提供してくれたんですね。
しかし、バディ・ホリーの結婚が彼の運命を思わぬ方向へ導く事になります。結婚後ニューヨークに居を構えたバディ・ホリーは活動拠点もニューヨークに移すんですが、ジェリー・アリソジョー・モールディンがラボックを離れたがらなかったので、結局10月28日に出演した『American Bandstand』を最後にオリジナルのクリケッツと決別してしまいます(この時期ノーマン・ペティとも決別)。この頃ただでさえチャート成績が下降気味だったのに、完全にソロ活動に入ったバディ・ホリーは、新婚生活で何かと費用がかさんでいたため、手っ取り早く収入を得ようと人気ロックンロール・スターが集められたパッケージ・ショー『Winter Dance Party』('59年1月23日~2月15日まで開催)に参加。

『Winter Dance Party』に参加したBuddy Holly & The Crickets:
Buddy Holly(ヴォーカル&ギター)
Tommy Allsup(リード・ギター)
Waylon Jennings(ベース・ギター)
Carl Bunch(ドラム)

そして運命の'59年2月3日を迎える訳です。この墜落事故はアイオワ州クリア・レイクでのステージ終演後、バディ・ホリーがチャーターした飛行機で次の公演地ミネソタ州ムーアヘッドへ移動するために、ノース・ダコタ州ファーゴ(Bobby Veeの出身地)に向かって離陸した数分後の出来事で、悪天候の中速度を出し過ぎた21歳のパイロット、Roger Peterson(この事故で死亡)の操縦ミスが原因とされています。
また、バス移動が常だったこのツアーで飛行機をチャーターした理由に関しては、一説によると衣装をクリーニングに出すべく日程を1日でも短縮しようとしたためとも言われています。ただ、移動に使用していたバスが度々アクシデントに見舞われていたので、バス移動に嫌気がさしていた事もあったのかもしれません。具体的には、1月30日にバスのエアコンが故障し途中修理のため足止めを食らい、1月31日にバス自体が故障したため即座に別のバスを手配するも再度エアコンが故障、2月1日に再度バス自体が故障したため急遽列車で移動といった具合に。実際、これらのアクシデントの度に、ツアーに参加していたミュージシャンの間で飛行機をチャーターしようという話が出ていたんだとか。

いずれにしても、バディ・ホリーはこのロックンロール史上最も悲惨な飛行機墜落事故で命を落としてしまいます。普通ならばここで全てが終わりになるはずですが、バディ・ホリーの死後も彼の音楽的遺産を継承した多くの信奉者が後を絶たず、新たなバディ・ホリー伝説が幕を開けることになります。

■ 今回の無料動画はBuddy Hollyです。Buddy Hollyの映像は、彼が出演したテレビ番組の回数に比べて市販のヴィデオやYouTube等でもほんの数種類しか出回っていないのでオーソドックスな映像になるのですが、とりあえずテレビ・ライヴ2本立て映像を紹介しておきます。
いずれも『The Ed Sullivan Show』からの映像で、1曲目が「Oh, Boy!」('58年1月26日放送)、2曲目が「Peggy Sue」('57年12月1日放送)となっています。なお後者の映像はNiki Sullivan在籍時の最後の映像です。

2曲ともBuddy Hollyを代表するロックンロールの傑作曲で何度聴いてもいいものですね。映画『アメリカン・グラフィティ』の中のJohn Milnerのセリフに「バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わった」と言うくだりがありましたが、Buddy Hollyの曲を聴くとその気持ちが分かる様な気もします。

それでは、Buddy HollyThe Crickets)で「Oh, Boy!」と「Peggy Sue」を続けてどうぞ。

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