ファンキーなドゥー・ワップ歌手、Dion DiMucci

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Dion 『The Very Best of Dion & The Belmonts』 ♪本文末に関連動画有

■ 今回は、'50年代末にDion & The Belmontsのリード・ヴォーカルとしてホワイト・ドゥー・ワップ・ブームを築き、またソロ転向後は持ち前のソウルフルな歌声でファンキーなロックンロール・ヒットを連発した偉大なヴォーカリスト、DionことDion DiMucciを紹介したいと思います。

'50年代型の荒削りなロックンロールが後退し、マイルドな肌触りのポップスが主流となっていた'60年前後の音楽シーンにおいて、'60年代型ロックンロールとも言うべきドライヴ感あふれるヒットで人気を博したディオンは同時代の他のアイドル歌手とは一線を画す存在でした。ドゥー・ワップやR&B、ブルースといった黒人音楽のエッセンスを地元ブロンクスで磨かれた独自のストリート感覚で再構築したそのヒップなスタイルは今聴いてもなお刺激的です。

ディオンのプロフィールは後述するとして、まずはCDを紹介しておきます。

CD:[試聴] [amazonThe Very Best of Dion & The Belmonts]
The Very Best Of...Dion & The Belmontsディオンの場合、ディオン&ベルモンツ時代を含む全盛期のオリジナル・アルバムもほぼ2in1CD化されているのでオリジナル・アルバムを揃えるのも一法ですが、今回は入門盤としてベスト盤CD『The Very Best of Dion & The BelmontsThe Very Best of Dion & The Belmonts』を紹介します。
内容は、ディオンがその全盛時代に在籍していたLaurie Records時代の音源で、シングル両面を基本とした'58年から'62年までの全30曲が収録されています。現在入手しやすいディオンのベスト盤の中では、ディオン&ベルモンツ及びソロとして'60年代前半までに全米トップ100に入ったLaurie盤シングルが全て収録されている本作が入門用として最適でしょう。

ディオン&ベルモンツ時代の典型的なアップ・テンポのホワイト・ドゥー・ワップやこの上なく美しいコーラスで迫るドゥー・ワップ・バラード、ソロになって一瞬だけ聴かせた良質のティーン・ポップ、そしてディオンの真骨頂といえるドゥー・ワップ・スタイルのファンキーなロックンロール・ナンバー等々、全盛時代のディオンの多岐にわたる魅力を全て満喫できます。

本盤はドゥー・ワップ・ファンやオールディーズ・ポップスのファンだけでなく、黒人系ロックンロールが好きな人にもぜひおすすめです。

(収録曲目)
※ 1~12曲目まではDion & The Belmontsによるものです。
01 A Teenager In Love('59年全米5位)
前年の活躍を引き継ぐ形で'59年に入って初めて放った幸先いいヒット曲で、初のTop10入りを果たしDion & The Belmontsの人気を決定付けた代表作。10代の切ない心情を甘いメロディーと張りのあるDionのヴォーカル、そしてタイトでスムーズなThe Belmontsのコーラスで表現してみせた甘美なWhite Doo Wop。Dion & The Belmontsにとって唯一の英国ヒット(全英28位)となったこの曲は、同年Dickie Valentine、Marty Wilde(全英2位)、Craig Douglas(全英13位)ら英国人歌手3人によるカヴァー盤を生んでいます。ちなみにこの曲は、元々Laurieのレーベル・メイトThe MysticsのためにDoc PomusとMort Shumanが書いたものだったんですが、会社の判断で当時勢いに乗っていたDion & The Belmontsにレコーディングさせたいわくつきの曲でした。ただ、その代わりにThe MysticsDoc PomusとMort Shumanから「Hushabye」('59年全米20位)を提供されています。
02 I Wonder Why('58年全米22位)
今や多くのDoo Wopグループにカヴァーされてスタンダード化した感のある、Dion & The BelmontsのLaurieからの第1弾。彼らの曲の中でも特にDoo Wop色の強いこのアップ・テンポ曲では、Carlo Mastrangeloのナンセンス・シラブルや4声を順に重ねていく部分等、コーラス・ワークが聴き所でしょう。もちろんDionの瑞々しい歌唱も魅力的。
03 Where Or When('59年全米3位)
Richard RodgersとLorenz Hartがミュージカル『Babes in Arms』('37年)用に書いた曲を目眩がするほど美しいハーモニーでカヴァーしたDion & The Belmonts最大のヒット曲。
04 Every Little Thing I Do('59年全米48位)
どういう訳かDionがThe ImperialsのLittle Anthonyにも通ずる様な子供っぽい歌い方で歌ったPopなナンバー。なお、このシングルからAngelo D'Aleoが徴兵でグループを抜けたため、Dion & The Belmontsは3人編成になっています。
05 A Lover's Prayer('59年全米73位)
「Every Little Thing I Do」のB面曲。
06 I Can't Go On (Rosalie)('58年)
Fats Dominoの曲('55年R&B6位)をDoo Wop調でカヴァーした「No One Knows」のB面曲。
07 No One Knows('58年全米19位)
Ken HechtとErnie Marescaのペンによる作品で、同年すかさずMarty Wildeにカヴァーされた悲しげな曲。なお、Ernie Marescaは「Barbara Ann」('61年全米13位)のヒットで知られるWhite Doo WopグループThe Regentsのオリジナル・メンバー(「Barbara Ann」録音後'58年脱退)だった人物で、ソングライターとしてDion以外にも多くのアーティストに曲を提供する傍ら、自身でも「Shout Shout (Knock Yourself Out)」('62年全米6位)をヒットさせています。
08 That's My Desire('59年)
「Where Or When」のB面で発表されたスタンダード曲('31年作)のカヴァーなんですが、A面に勝るとも劣らない美しいハーモニーを聴かせています(特にファルセットが絶品)。この曲は50'sロッカーのEddie Cochran('56年録音)やBuddy Holly('58年録音)も当時未発表ながらカヴァーしていますが、Doo Wopグループにも人気だった様で、Dion & The Belmonts以外にThe Channels('57年)、The Flamingos('53年)、Yvonne Baker & The Sensations('62年全米69位)等多くのグループがカヴァーしています。そして山下達郎も『On the Street Corner』('80年)で1人Doo Wopカヴァーを披露していました。
09 Don't Pity Me('58年全米40位)
Dionのやるせない歌唱が印象的なこの曲もまた、Marty Wildeが1stアルバム『Wilde About Marty』('59年)の中でカヴァーしています。
10 In The Still Of The Night('60年全米38位)
Oldiesファンに「In The Still Of The Night」と言えば、間違いなく真っ先に頭に浮かぶであろう曲はThe Five Satinsの大傑作バラード('56年全米24位)。Dionがそちらの曲をソロ時代('61年『Runaround Sue』)にカヴァーしているんでややこしいんですが、ここでDion & The Belmontsがカヴァーしたのは、ミュージカル映画『Rosalie』('37年)の中で披露されたCole Porterの作品の方。こちらもアダルトな雰囲気のいい曲です。
11 Wonderful Girl('60年)
で、こちらは「When You Wish Upon A Star」とのカップリングでリリースされた正真正銘The Five Satinsの'56年盤の名カヴァーです。ちなみにこのDion & The Belmontsヴァージョンは、英国のDoo Wop RevivalグループThe Roomatesがアルバム『The Classic Sound Of The Roomates』(2004年)の中で素晴らしいカヴァーを披露しています。
12 When You Wish Upon A Star('60年全米30位)
ご存知、'40年にディズニー映画『Pinocchio』の中で披露されて以来多くの人に歌われてきた「星に願いを」のカヴァー。
13 Runaround Sue('61年全米1位)
Dionにとって最大のヒットとなった唯一のNo.1ソングで、Gary U.S. Bondsの「Quarter to Three」('61年全米1位)にインスパイアされたDionとErnie Marescaの共作曲。Dionの最高傑作との呼び声も高いこの曲からバック・コーラスにThe Del-Satinsを従えており、Dionのファンキー・ヴォイスも唸る超アグレッシヴなDoo Wopとなっています。当時の音楽シーンにもかなりのインパクトを与えたと見えて、The Del-Satinsを従えボーイッシュに歌ったLinda Laurieの「Stay at Home Sue」('61年)やゆる~い印象を受けるDanny Jordanの「Runaround Sue's Getting Married」('62年)、そしてウットリするほどキュートに歌ったGinger & The Snapsの「I'm No Runaround」('61年)等多くのアンサー・ソングが生まれています。ちなみにオリジナル盤の邦題「悲しい恋の物語」に対して、Danny Jordan盤は当時日本で「ハッピー・エンド物語」の邦題で発売されていました。また、わが国でも'62年にこの曲をスリー・ファンキーズ(「悲しき恋の物語」)が、B面の「Runaway Girl」を伊東ゆかりが日本語カヴァーしています。
14 Take Good Care Of My Baby('61年『Runaround Sue』)
Oldiesファンにはお馴染みのBobby Veeの大ヒット曲('61年全米1位)をカヴァーしたもの。
15 Lonely Teenager('60年全米12位)
Dionがソロになって最初に発表したPopなシングル曲。
16 Havin' Fun('61年全米42位)
Doc PomusとMort Shuman作のしっとりとした佳曲。
17 Lovers Who Wander('62年全米3位)
「Runaround Sue」と同系統の喧騒感満点の曲で、Dionのパワフルで黒っぽい歌唱が何とも言えません。もちろんDionの専売特許とも言える例のスキャットもカッコよく決まっています。
18 Sandy('63年全米21位)
Dionが既にColumbiaに移籍していたにもかかわらずLaurieからシングル発売された曲。元々は'62年のアルバム『Lovers Who Wander』収録曲で、スキャット満載のPopでカッコいい曲になっています(Dionの自作曲)。
19 Love Came To Me('62年全米10位)
Columbia移籍前のLaurie最後のオリジナル・シングルで、ゆったりとしたミディアム・テンポの中にもファンキーなDion節が光る好曲。
20 Kissin' Game('61年全米82位)
21 The Majestic('61年全米36位)
「Runaround Sue」系統の曲で、「The Wanderer」とのカップリングで発表されたノリのいい曲。
22 Little Miss Blue('60年全米96位)
「Lonely Teenager」のB面曲。
23 (I Was) Born To Cry('62年全米42位)
Dion自身のペンによる「Lovers Who Wander」のB面曲で、怪しげなThe Del-SatinsのコーラスをバックにDionがワイルドに熱唱する知られざる名曲。
24 Lonely World('63年全米101位)
個人的に大好きなDionとErnie Marescaの共作曲で、切ない心情をソウルフルに歌い上げたDionのヴォーカルが鳥肌ものの傑作ナンバー。この曲もColumbia移籍後に'61年のアルバム『Runaround Sue』からシングル・カットされたLaurie盤。
25 Little Diane('62年全米8位)
「The Wanderer」や「(I Was) Born To Cry」と似た雰囲気を持つクールな名曲。何でもこの曲でユニークなアクセントとなっているカズー(楽器)の演奏はDion自身によるものだそうです。
26 Tonight Tonight('62年『Lovers Who Wander』)
Dion & The Belmonts以前に全米チャートに登場('57年全米77位)したWhite Doo Wopグループ、The Mello Kingsが放ったDoo Wop史上に残る傑作バラードをカヴァーしたもの。このカヴァーもDionの歌い回しが絶品なので是非オリジナルと聴き比べて欲しいナンバーです。
27 Come Go With Me('63年全米48位)
続いてこちらもDoo Wopカヴァーで、オリジナルはThe Del Vikingsの'56年全米4位曲。この曲もアルバム『Lovers Who Wander』からColumbiaに移籍後シングル・カットされたLaurie盤。
28 Save The Last Dance For Me('61年『Alone With Dion』)
Doo Wopカヴァー3連発の最後はThe Driftersが'60年に放ったNo.1ソング。
29 Shout('62年『Lovers Who Wander』)
'64年に英国の少女歌手LuluがLulu & The Luvvers名義で全英7位(全米94位)のヒット記録したヴァージョンも有名なこの曲は、The Isley Brothersの'59年全米47位曲がオリジナル。なお、この曲はColumbiaに移籍後に別ヴァージョンでLaurieからシングル発売されています('64年全米108位)。
30 The Wanderer('61年全米2位)
Ernie Marescaのペンによる「Runaround Sue」と並ぶDionの代表曲で、Dion流Soulの極みが味わえる傑作ナンバー。


※ 参考までに現在発売されているLaurie時代のオリジナル・アルバムの2in1CD(オリジナル・アルバム未収録曲入り)を記しておきます。

・『Presenting Dion & the Belmonts/Runaround Sue
ディオン&ベルモンツの1st('59年)とディオンの2nd('61年)の2in1
・『Wish Upon a Star/Alone with Dion
ディオン&ベルモンツの2nd('60年)とディオンの1st('61年)の2in1
・『Lovers Who Wander/So Why Didn't You Do That the First Time?
「Little Diane」を抜いたディオンの3rd('62年)とアウト・テイク集('85年)の2in1
■ Dion DiMucci(Dion)について 

ニューヨークはブロンクス出身のDion DiMucci('39年7月18日生)が最初に音楽に興味を持ち始めたのは、8歳の時に叔父からギターを買ってもらった事がきっかけでした。10歳の時にラジオで初めてHank Williamsを聴いて以来彼がディオンディオン・ディムーチ)の最大のアイドルとなり、ただ聴くだけでは飽き足らず人前で歌ってみたいと思い立ったディオンは、その直後ハンク・ウィリアムスの曲等を中心にローカル・バーで歌い始めます。
'51年になると幾つかのラジオ・ショーへ出演し始めて順調に歌手としてのキャリアを積んでいたディオンですが、他方でブロンクスの不良少年達が皆どこかしらのストリート・ギャングに属していた様に、ティーンエイジャーになったディオンも“The Fordham Daggers”(後に“The Fordham baldies”に改名)なるストリート・ギャングに加入しています。そこでは'60年代半ばにディオンが音楽シーンから遠ざかる一因となったドラッグとの出会いもありますが、ドゥー・ワップというその後の彼の音楽性を決定付けた重要な出会いもありました。何でもその頃他のギャングとのストリート・ファイトを終えた後は、仲間と街角でドゥー・ワップを歌うといった日常を繰り返していたそうです。
またこの時期ディオンは、The HeartbeatsThe Cadillacs等のお気に入りのドゥー・ワップ・グループのステージを観にハーレムのアポロ・シアターに通い始めたそうですが、後('58年)に自身がディオン&ベルモンツとしてアポロ・シアターのステージに立った初の白人アーティストとなるなんて思いもよらなかったでしょうね。

ジャズ・ミュージシャンのPaul Whitemanが司会を務めるフィラデルフィアのテレビ番組『Teen Club』への初出演('54年)が転機となり、ディオンはその後本格的に歌手活動を開始します。また、バーモントからブロンクスに引っ越してきたばかりの後のディオン夫人('63年3月23日結婚)、Susan Butterfieldと出会ったのもこの頃。ディオンにとって全てが上向きになってきてますよね。
そして、ディオンが母へのヴァレンタイン・プレゼント用に録音した「Wonderful Girl」(収録曲目参照)他のデモ・テープが、近所に住む知り合いのソングライターを通じてMohawk Records(Irv SpicerとBobとGeneのSchwartz兄弟が設立)へ渡った事がきっかけとなり、ディオンはモホークからDion & The Timberlanesとして「The Chosen Few」('57年)でめでたくレコード・デビューを飾ります。ただ、Dion & The Timberlanesと言ってもディオンとティンバレインズのメンバーとの間に面識はなく、このレコードはディオンのヴォーカル・トラックに後からティンバレインズのコーラスが付け加えられたものでした。
そこで、Gene Schwartzらに自身のヴォーカル・グループを結成する事を勧められたディオンは、同じ頃モホークから「Teenage Clementine」('57年)でデビューしていた、知り合いのCarlo Mastrangeloが在籍したグループThe Belmonts(ブロンクスのBelmont Avenueにちなんで命名)に加入します。ここに史上最強のホワイト・ドゥー・ワップ・グループDion & The Belmontsが誕生する訳です。

Dion & the Belmonts:全員Roosevelt High School出身
Dion DiMucci(リード)
Angelo D'Aleo(1stテナー)
'40年2月3日生、'59年6月13日徴兵のため一時脱退
Fred Milano(2ndテナー)
'39年8月22日生、ストリート・ギャング“The Imperial hoods”出身
Carlo Mastrangelo(バリトン、バス)
'38年10月5日生、“The Imperial hoods”出身

ディオン&ベルモンツとしてモホークから1stシングル「We Went Away」('57年)を出した後、ディオンが頼りにしていたGene SchwartzがBobと一緒にモホークを去り、'58年にElliott GreenbergとAllen Susselらと新たにLaurie Recordsを設立するとディオン&ベルモンツも彼らの後を追ってローリーへ移籍します。
ここからがディオン&ベルモンツの栄光の始まりで、'58年4月にリリースしたローリー第1弾「I Wonder Why」の初ヒットを皮切りに翌'59年にかけてヒットを連発し一気に大スターの仲間入りを果たします。この時期レコード以外にもテレビ出演や様々な人気スターとのパッケージ・ツアー等精力的に活動していたディオン&ベルモンツですが、その中ではショッキングな出来事も経験しています。
それは'59年1月にディオン&ベルモンツ他人気ロックンロール・スターを集めて始まったパッケージ・ショー『Winter Dance Party』中の出来事で、Buddy Hollyをはじめ、Ritchie Valens、The Big Bopper(J.P. Richardson)といった当時の人気ロックンローラーが3人も亡くなったロックンロール史上最も悲惨な飛行機事故('59年2月3日)でした。アイオワ州クリア・レイクでのステージ終演後バディ・ホリーがチャーターした飛行機で次の公演地ミネソタ州ムーアヘッドへ向かう途中に遭遇したもので、ディオンも飛行機での移動を誘われますがチャーター代36ドルは高いと考えてその申し出を断ったため難を逃れています。もしその申し出を受けていたら...と考えただけでもゾッとしますよね。

さて、快進撃を続けていたディオン&ベルモンツですが、レーベル・オーナーの1人Allen Sussellが標榜したFrank Sinatra路線に賛同したベルモンツのメンバーとあくまでロックンロールにこだわったディオンとの間に音楽的方向性の相違が生じ、'60年10月にディオンはグループを脱退してソロに転向します。残されたベルモンツは'60年代を通して活動を続け、Norman Fox & The Rob-Roysの'57年盤をカヴァーした「Tell Me Why」('61年全米18位)他6曲のヒットを放ちますが、彼ら以上に大成功を収めたのはディオンの方でした。
ソロ第1弾の「Lonely Teenager」を手始めに数曲のポップ・ヒットを放った後、'61年(~'63年)にはホワイト・ドゥー・ワップ・グループThe Del-Satinsをバックに従えてディオン節全開の「Runaround Sue」を発表。音楽シーンの頂点を極めたディオンはワイルドでドライヴ感あふれるロックンロールを歌い続けると共に、この時期('61年)には当時の人気歌手達と一緒に『The Teenage Millionaire』と『Twist Around the Clock』の2本の映画にも出演を果たします。
その後のディオンは'62年暮れにCBSに移籍してからさらに黒っぽさを増したヒット曲を飛ばし、'60年代中盤に一時シーンから遠ざかるも'60年代末に復帰すると様々な音楽的変遷を辿り現在に至るまで活動を続けています。

■ 今回の無料動画はもちろんDionで、曲は彼の最高傑作として名高い「Runaround Sue」を紹介します。映像はChubby CheckerやThe Marcelsと一緒に出演した映画『Twist Around the Clock』('61年)からで、丁度この「Runaround Sue」の大ヒットでDionがポップス・シーンの頂点にいた頃のものです。 

強烈なバック・ビートに乗せてDionがソウルフルに絶叫した「Runaround Sue」は、ドゥー・ワップやR&B、ロックンロール、ソウルが渾然一体となったオリジナリティあふれるナンバーで、Dion独自のファンキーさが最大限に発揮された曲と言えるでしょう。とにかくワイルドでカッコいい'60年代型のロックンロールです。

それでは、Dionの「Runaround Sue」をご覧下さい。

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コメント
この記事へのコメント
こんばんは♪
少しばかりご無沙汰しております♪

ディオンは今でも現役で頑張ってる素晴らしいロッカーですよね。(^^)

自分はディオン&ベルモンツ時代では「I Wonder Why」、最初のローリー期では「「Runaround Sue(浮気なスー)」(自分は『ひらけ!ポンキッキ』の「トンデヘレヘレ・・・」のジングルでこの曲を知りました)、コロムビア期では「Drip Drop」、ローリー復帰後では「Abraham, Martin & John」が好きです。(^^)

ディオンは以前にエントリしてましたのでTBさせていただきますね♪
2007/12/02(日) 22:18 | URL | BYRD #NNxGKCIs[ 編集]
BYRDさんどうも(^^)
実は、明日最終チェックをしてエントリ予定の記事があるんですが、夕方そちらにお邪魔した時にふとBYRDさんが紹介してそうだと思って確認させてもらったんです。ありました60'sじゃなくて50'sの方に、しかもCDも同じで。なのでTBさせて貰う予定でいたんですよ(明日伺いますのでヨロシクです)。

で、ディオンですよね^^;
『ポンキッキ』のジングルは知りませんでした(笑)「Drip Drop」ですか、やはりBYRDさん渋い所ついてきますね(笑)私も『Bronx Blues』で聴き捲くってました。その頃だと他にクレフトーンズのカヴァー「Can't We Be Sweetheart」も好きです。もちろん最初のローリー期は好きな曲だらけです。とにかく声がいいんですよねディオンって♪
2007/12/03(月) 01:21 | URL | sugarboy #L/3l8JBE[ 編集]
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今回は前回に続いて50年代からのセレクトなんですが、実は最近リンク先の&quot;Otokichikun-factory&quot;のkura_moさんの影響でディオンをよく聴いています。自分が初めてディオンの楽曲を聴いたのは幼少期に幼児向けテレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』のジングルで使用さ
2007/12/02(日) 22:18:03 | BYRD'S SELECT MUSIC
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