60'sカヴァー・ポップスの女王、弘田三枝子

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弘田三枝子 『ミコちゃんのヒット・キット・パレード』 ♪本文末に記事に関連した動画有

■ '60年代初頭の日本のロック・シーンは、'50年代の狂騒のロカビリー時代を経てカヴァー・ポップス黄金時代を迎える事になりますが、そこでシーンに花を添えたのが個性あふれる素晴らしい女性シンガー達の活躍でした。外国のポップスを親しみやすい日本語で歌う隣の女の子的なルックスの彼女達は、その頃ちょうど急速に普及し始めたテレビというメディアによって全国のお茶の間に浸透していきます。その中でもデビュー当時“10年に1人の女性歌手”とも“驚異の天才歌手”とも取りざたされて実力・人気共にナンバー・ワンだったのが、今回紹介する“ミコちゃん”こと弘田三枝子です。

小学生の頃から米軍キャンプ回りで鍛えられていたその歌唱力は伊達じゃなく、天性のズバ抜けたリズム感も相まって、当時外国のポップスに最も違和感なく日本語の歌詞を乗せて歌う事の出来た歌手は、彼女をおいて他にいないのではないでしょうか。また、彼女は後のアーティストにも多大な影響を及ぼしており、アルバム『Longtime Favorites』(2003年)で「悲しき片想い」をカヴァーした竹内まりやの小学生時代のアイドルだったという事実もあるし、'80年代初頭に活躍したオールディーズ・リヴァイヴァル・バンド、ザ・ヴィーナスのリード・シンガーだったコニーの彼女への尊敬の念には並々ならぬものがあります。

CD:[試聴/Tower Records] [amazon]
ダウンロード:[試聴/iTunes Store]
ミコちゃんのヒット・キット・パレードそこでCDの紹介ですが、'60年代初期の彼女の場合は「これしかない!」という決定盤があるんです。そのCDと言うのが『ミコちゃんのヒット・キット・パレード』です。彼女の'61年のデビュー曲「子供ぢゃないの」から'64年までの東芝在籍時代の外国ポップス・カヴァー全曲(2曲の和製ポップス含む)に、コロムビア移籍後の'65年までの外国ポップス・カヴァー8曲を加えた2枚組全48曲。
彼女の歌唱を例えて、よく“パンチの効いた”歌声等と今ではほとんど使われない言葉で言われるんですが、とにかく迫力があって上手く、オリジナル盤と聴き比べてもそのほとんどがどちらがオリジナルか分からないぐらい凄いんです。たとえそれがConnie FrancisBrenda Leeの曲であっても。
オールディーズ・ファンの方で日本語のカヴァー・ポップスを聴いた事がない方は、まずこの弘田三枝子から入ってみる事をおすすめします。かなり本格的なのできっとビックリするんじゃないでしょうか。

では、主な収録曲を見ていきましょう。まずはDisc1から。
'61年11月のデビュー・シングルは、典型的60'sポップスの「子供ぢゃないの」(原題「Don't Treat Me Like A Child」)とセンチメンタルなバラードの大傑作「悲しき片想い」(原題「You Don't Know」)のカップリングで、2曲ともイギリスの人気歌手Helen Shapiroのカヴァー曲でした。偶然にも弘田三枝子と同学年のヘレン・シャピロも「Don't Treat Me Like A Child」('61年全英3位)でデビューした時は14歳でした!2人ともとても14歳とは思えない堂々たる歌唱力で、かなりインパクトあります。なお、私も大好きなヘレン・シャピロの「You Don't Know」は、彼女の2ndシングルで彼女にとって初の全英No.1に輝いた'61年の曲でした。
そう言えばこの2曲は田代みどりも全く同じカップリングで、日本初のドゥー・ワップ・グループ、ザ・キング・トーンズのコーラスをバックに'61年12月にシングル発売しています。「悲しき片想い」に関しては、他に飯田久彦('61年11月)やザ・ピーナッツ('62年1月)のカヴァー盤有り。
ちなみに、共通点も多いヘレン・シャピロコニー・フランシスに次いで弘田三枝子がカヴァーした曲の多いアーティスト(6曲)でもありました。

8曲目に収録された「ルイジアナ・ママ」(オリジナルはGene Pitneyの'61年「Take Me Tonight」のB面曲)は'61年12月に発売されて大ヒットした飯田久彦盤が有名ですが、'62年2月発売の1stアルバム、『ヒット・キット・パレード』に収録された弘田三枝子のヴァージョンの方が断然迫力があってカッコいいです。ヒーカップ唱法を連発して熱唱しており、メロディーと日本語歌詞の違和感が皆無。
'62年4月に発表された11曲目の「カモン・ダンス」は、フィラデルフィア出身の天才少女歌手、Maureen Grayの'61年の曲をカヴァーしたもの。青山ミチ中尾ミエ佐々木功等の競作盤を抑えて最もヒットしたのはやはり弘田三枝子のヴァージョンでした。
彼女のカヴァー・ポップスの中でも大傑作の1つにあげられるのが15曲目の「かっこいいツイスト」('62年7月)。元々はSophia LorenとAnthony Perkinsが主演した'62年の仏・伊合作サスペンス映画、『Five Miles To Midnight』(英題)で使われていたインスト曲「Twistin' The Twist」がオリジナルで、弘田三枝子がカヴァーしたのはそれに仏語詞をつけて歌ったフランスの歌手Richard Anthonyのヴァージョン(原題「Lecon De Twist」)。この曲は'62年当時ヨーロッパでかなり流行ったとみえて、フランスの歌手Dalidaやフランスのインスト・バンドLes DangersCaterina Valente等数多くのヴァージョンが存在します。
それで弘田三枝子のヴァージョンですが、ヴォーカルがノリにノってて迫力はあるし、絶妙なタイミングでカッコよくヒーカップも決めてるしグレイトの一言。タイトル通りのカッコいいツイスト・ナンバーに仕上がっていて、数あるカヴァーの中でも1番でしょう(漣健児の訳詞も面白い)。

その「かっこいいツイスト」のB面だったのが16曲目の傑作バラード曲、「一度だけのあやまち」(原題「I Apologize」)。2曲目収録の「悲しき片想い」と同系統の切ないこの曲もヘレン・シャピロのオリジナル曲('62年全英2位の「Tell Me What He Said」のB面曲)ですが、2人ともホントにこの手の曲を歌わせたら絶品なんでよね。これまた飯田久彦の競作盤('62年5月)有り。
続く17曲目の「かっこいい彼氏」(原題「Gonna Git That Man」)は'62年9月発表のシングルで、コニー・フランシスの'62年全米7位のヒット曲「Second Hand Love」のB面曲を艶のあるヴォーカルでカヴァーしたカッコいいノリノリ・ロックンロール。他には麻生京子のゴキゲンなカヴァーもありました('62年8月「カッコいい彼氏」)。

次いてDisc2。
のっけから彼女の代名詞とも言える「ヴァケーション」('62年10月)の登場です。オールディーズの大名曲で、コニー・フランシスが'62年に放った全米9位のヒット曲のカヴァーです。パワー全開の弘田三枝子と艶っぽいヴォーカルをたたえたコニー・フランシス、どちらのヴァージョンも究極の出来。ローカル盤(日本語カヴァー盤)で大ヒットしたのは我らが弘田三枝子盤ですが、当時弘田三枝子盤に次いでヒットした青山ミチ盤('62年10月)や西野バレエ団のバレリーナ、金井克子('62年10月)、伊東ゆかり('62年11月)、安村昌子('62年11月)等この曲も数多くの競作盤が生まれました。
'63年3月発表の5曲目、「想い出の冬休み」(原題「I'm Gonna Be Warm This Winter」)と'63年5月発表の7曲目、「渚のデイト」(原題「Follow The Boys」)もまたコニー・フランシス(それぞれ'62年全米18位、'63年全米17位)のカヴァーで、こちらも「ヴァケーション」同様完璧!前者は沢リリ子のカヴァー有り('63年5月)。後者はコニー・フランシス主演2作目の同名映画('63年)の主題歌だった曲で、日本では他に梓みちよの出来のいい競作盤も出されていました。

9曲目の「悲しきハート」(原題「Lock Your Heart Away」)は'63年7月に出されて大ヒットした極上ポップス。同年オリジナルを歌ったイギリスの歌手Susan Singerは、ヘレン・シャピロと同じ年のいとこ同士で、9歳の頃からヘレン・シャピロSusie & The Hula Hoopsなるバンドを組んで活動しており、Elvis PresleyやBuddy Holly等の曲もレパートリーとしていたとか。驚く事にそのバンドで茶箱ベースを弾いていたのが何と後にグラム・ロックの大スターとなるT.RexのMarc Bolan(当時はMark Feld)だったそうです。
元々曲自体が名曲なんですが、弘田三枝子のヴァージョンはみナみカズみによる名和訳も相まって、彼女の中の大傑作の1つにあげられるでしょう。

御大Ronnie Spectorに真っ向から挑んだのが、The Ronettesが'63年に全米2位(R&B4位)の大ヒットとした13曲目の「私のベイビー」(原題「Be My Baby」)。オリジナルも大傑作ですが、弘田三枝子の堂々たる歌いっぷりも脱帽ものです('63年12月)。この曲はやはり弘田三枝子盤が圧倒的に大ヒットしたんですが、当時伊東ゆかり('64年1月)や麻生京子('63年12月「あたしのベイビー」)もシングル発売しています。「私のベイビー」のB面だったバラード調の「ティーンエイジ・クレオパトラ」(14曲目)は抜群の歌唱力でしっとりと歌い上げており、ちょっぴり生意気そうでキュートに歌ったTracey Dey('63年)のオリジナルを完全に超えていると言えるでしょう。なお、この曲は木の実ナナも'64年3月にカヴァー盤を発表していました。
'64年5月に発表された17曲目の「恋と涙の17才」(原題「You Don't Own Me」)もこれまた大傑作。ロックンロール史上初の女性自立宣言ソングと言われるこの曲は、'60年代に数多くのヒットを放ったポップス・シンガー、Lesley Goreの名曲('64年全米2位)をカヴァーしたものですが、キュートな声のレスリー・ゴアに比べて、艶のある強力ヴォイスでこの曲の本質を見事に歌い切っている弘田三枝子はやはり凄い!
ところで、この曲は中尾ミエも同年4月に同じタイトルで発表していますが、原題や歌詞と全く関係ないこのポップな邦題はどっから来たんでしょう?
そのB面曲だった18曲目の「いつでもあなたを」(原題「(I'm Watching) Every Little Move You Make」)は、「I Will Follow Him」(原曲はPaul Mauriatが'62年に変名で書いた「Chariot」)で'63年全米1位の初ヒットを放った天才少女歌手、Little Peggy Marchの隠れた名曲のカヴァー('64年全米84位)。弘田三枝子の歌唱は言うまでもなく、訳詞家みナみカズみの出だし部分の日本語の乗せ方が白眉です。

'64年10月発表の19曲目の「恋のレッスン」(原題「If You Love Him」)もマニアックなカヴァーです。元々は'64年の映画『The Lively Set』(邦題『若さでブッ飛ばせ!』)の中で、「Johnny Get Angry」('62年全米7位)等のヒットで知られるJoanie Sommersが歌っていたナンバーがオリジナル。オリジナル同様ノリノリのポップスで、漣健児の訳詞も最高に楽しい好曲。
20曲目の「涙の24時間」(原題「Everyday I Have To Cry」)は「恋のレッスン」のB面として発表されたこれまた少々意外なカヴァー。彼女が参考にしたのは同年発表されたイギリスの歌手、Julie Grantのヴァージョンと言われていますが、元々はThe Beatlesが1stアルバム『Please Please Me』('63年)でカヴァーした「Anna(Go To Him)」('62年全米68位)のオリジネイターとして有名なArthur Alexanderの作品で、'63年にSteve Alaimoが取り上げた全米46位のヒット曲がオリジナル。
'65年2月に発売された23曲目の「ナポリは恋人」(原題「Napoli, Fortuna Mia」)は、前年に「夢見る想い」(原題「Non Ho L'eta(Per Amarti)」)で第14回サンレモ音楽祭の優勝を勝ち取ったGigliola Cinquettiのダイナミックなカンツォーネ('65年)のカヴァーで、オリジナルに勝るとも劣らない熱唱ぶりは圧巻。
そのB面曲だった「レッツ・ゴー・ベイビー」(原題「Hey Now Baby」)は、当時熱気を帯び始めたエレキ・ブームの影響を受けたようなカッコいいロックンロール。この曲は、'50年代から活動していたオーストラリアのロックンロール・シンガー、Johnny Rebbが、インスト・バンドThe Atlanticsをバックに'64年に発表した曲がオリジナル。

その他では、イギリスの歌手Maureen Evansが'63年に発表した「Tomorrow Is Another Day」(ヘレン・シャピロの'65年の曲とは同名異曲)をカヴァーした「悲しみがいっぱい」('63年9月)、イタリアの歌手Minaの「Un Buco Nella Sabbia」('64年)をカヴァーした「砂に消えた涙」('64年12月)、第10回ユーロビジョン音楽祭優勝曲となったフランスの歌手France Gallの「Poupee De Cire, Poupee De Son」('65年)をカヴァーした「夢みるシャンソン人形」('65年8月)等が聴き所と言えるでしょう。
■ わが国の女性ポップス・シンガーの歴史とカヴァー・ポップス黄金時代

わが国のロック・シーンにおいて、皆さんは誰の名が最初の女性ポップス・シンガーとして頭に浮かぶでしょうか?
最初にロックンロールの日本語カヴァー・レコードを出した江利チエミ('55年「ロック・アラウンド・ザ・クロック」)や“カリプソ娘”としてHarry Belafonteのカヴァー('57年「バナナ・ボート」)等で瞬間的にブームとなった浜村美智子、あるいは'58年に「フジヤマ・ママ」(オリジナルは'57年のWanda Jackson盤)や「火の玉ロック」(原題「Great Balls Of Fire」、オリジナルは'57年全米2位のJerry Lee Lewis盤)のカヴァーで強烈なヒーカップ唱法を披露して、かなりオーセンティックなロカビリーを歌っていた雪村いづみ、はたまた雪村いづみの妹で、'58年の第1回日劇ウエスタン・カーニバルにおいて“女エルヴィス”の異名をもつJanis Martinの「Will You, Willyum」('56年全米50位)を熱唱した朝比奈愛子等々、'50年代から外国曲を取り上げているアーティストは存在していました。
しかし、彼女達が取り上げていたのはポップスと言うよりロカビリーやロックンロールあるいはカリプソ(又はジャマイカ民謡)だったし、江利チエミ雪村いづみに関しては、そもそもジャズ系ポピュラー・シンガーが一時的にロックンロールを取り上げたに過ぎませんでした。

そうなると'58年6月に「かたみの十字架」(原題「Remember You're Mine」、オリジナルはPat Booneの'57年全米6位曲)でデビューした、伊東ゆかりあたりがやや現実的になるんじゃないでしょうか(デビュー時何と11歳!)。ただ、彼女は'59年に一旦引退しており、'50年代は一時的なヒットを残してシーンを後にするんですが...
※ '58年に日本でヒットした女性シンガーによる主なカヴァー曲は、前記「フジヤマ・ママ」や伊東ゆかりの「ラリパップ(誰かと誰かが)」(オリジナルはRonald & Rubyの同年全米20位曲「Lollipop」)等でした。

'59年4月には本格的なコーラス・デュオ、ザ・ピーナッツが「可愛い花」(元は'52年にSindney Bechetが作ったインスト)でデビューを果たします。以後彼女達がレギュラーを務めたテレビ番組、『ザ・ヒット・パレード』の人気も相まってヒットを連発し、押しも押されぬスターの座を手にする事になります。
この様に'50年代末に伊東ゆかりザ・ピーナッツが登場しますが、女性ポップス・シンガーはまだまだ少なく、またデビューも単発的で大きなムーヴメントになっていないのが現状でした。やはり本格的な女性ポップス・シンガーの黄金時代は、ちょうどカヴァー・ポップス黄金時代と重なる'60年代に入ってからと言えそうです。
※ '59年に日本でヒットした女性シンガーによる主なカヴァー曲は、前記「可愛い花」や同じくザ・ピーナッツによる「情熱の花」(原題「Tout L'amour」、オリジナルは'59年のCaterina Valente盤)等でした。ちなみに「情熱の花」は、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を下敷きにして作られた曲で、ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」('81年)の元ネタでもありました。

そこで、伊東ゆかりザ・ピーナッツを前ぶれとして、当時のアメリカでの女性ポップス・シーンを反映するかのように'60年に突入すると象徴的な2人の歌手が登場します。すなわち、その頃アメリカでヒットを連発していたConnie FrancisBrenda Leeになぞらえて、まず5月に“和製コニー・フランシス”と呼ばれた“おさげの加代ちゃん”こと森山加代子が「月影のナポリ」(原題「Tintarella Di Luna」、オリジナルは'59年のMina盤)で、続いて8月には“和製ブレンダ・リー”と呼ばれた“えくぼのみどりちゃん”こと田代みどりが文字通りブレンダ・リーの同年全米4位曲「スイート・ナッシンズ」でデビューする事になります。
森山加代子は'59年から水原弘率いるロックンロール・バンド、ブルー・ソックスのヴォーカルとして活動しており、同年7月に公開されたロカビリー系歌手総出演の映画『青春を賭けろ』にも出演した経歴を持っていました。そしてデビュー後もヒットを連発し、同じ事務所の坂本九と“ゴールデン・コンビ”と呼ばれて人気歌手の仲間入りを果たしています。
一方田代みどりは、'58年に大阪北野劇場のロカビリー大会で“ロカビリー三人男”と共演し、同年12月の第4回日劇ウエスタン・カーニバルに早くも初出場を果たしています(当時10歳!)。何と驚く事に'59年には、1月に来日したワンダ・ジャクソンの大阪公演(2月)にも出演しているんです。
実際、『ミュージック・ライフ』'59年4月号にはまだあどけない田代みどりが、ワンダ・ジャクソンや大阪公演でバック・バンドを務めたオールスターズ・ワゴン平尾昌章(“ロカビリー三人男”の1人)らと写った記念写真が掲載されています。彼女もまたデビュー後多くのヒットを放っていますが、代表曲は何と言ってもAnnetteの'60年全米11位のヒット曲をカヴァーして大ヒットした「パイナップル・プリンセス」('61年)でしょう(森山加代子も'60年12月カヴァー盤発売)。

この2人の隣の女の子的ティーン・アイドルの出現を契機にして、その後続々と10代の少女歌手がデビューを果たし、女性ポップス・シンガーの全盛期を迎える事になります。こうした事実から、実質的なわが国最初の女性ポップス・シンガーはこの2人だったと言えるのかもしれません。
※ '60年に日本でヒットした女性シンガーによる主なカヴァー曲は、何と言ってもザ・ピーナッツ森山加代子による2つのカヴァー・ヴァージョンが壮絶なデッド・ヒートを繰り広げた「月影のナポリ」でしょう。

翌'61年には主なところで5月にC&W系の歌手斉藤チヤ子が、ジューンとジョイなるデュオがオリジナルという「なみだのラブレター」(原題「Dedicated To The One I Love」)でデビューし、7月に先の伊東ゆかりが「ポケット・トランジスター」(オリジナルは'60年のAlma Cogan盤)で芸能界に復帰、11月には先に触れたように弘田三枝子がデビューしています。残念ながら斉藤チヤ子は本業の歌よりもテレビや映画での活躍が目立ちますが、'62年に発表した『サン・アントニオ・ローズ(斉藤チヤ子ウェスターン・ヒット)』というアルバムの中で、彼女のアイドルだったワンダ・ジャクソンの「ミーン・ミーン・マン」('58年)を見事に熱唱しています。
※ '61年に日本でヒットした女性シンガーによる主なカヴァー曲は、田代みどりの「パイナップル・プリンセス」や森山加代子の「ポケット・トランジスター」等でした。

カヴァー・ポップス黄金時代のピークとも言えそうなのが女性ポップス・シンガーが史上まれに見るほど大量にデビューした'62年でしょう。主な名前をあげてみると、まず2月に初代“ツイスト娘”の伊藤照子が「レッツ・ゲット・トゥゲザー(二人だけなのに)」(オリジナルはHayley Millsの'61年全米8位曲)で、同じく2月に当初伊東ゆかり中尾ミエと共に“三人娘”として売り出された沢リリ子が「ラブランド」(オリジナルは'61年のPaul Anka盤)で、4月に後に“ツイスト娘”としてブレイクする中尾ミエが「可愛いベイビー」(オリジナルは'62年コニー・フランシスの「Pretty Little Baby」)で、5月に先の沢リリ子に代わって“(スパーク)三人娘”となる園まりが「鍛冶屋のルンバ」(オリジナルは'62年Hugo Blancoの「El Herrero」)で、同じく5月に“和製ワンダ・ジャクソン”の異名をとる麻生京子が「ハンガリア・ロック」(リストの「愛の夢」が元ネタ)で、7月に12歳のカルト・アイドル、梅木マリが「可愛いグッドラック・チャーム」(オリジナルはエルヴィス・プレスリーの'61年全米1位曲「Good Luck Charm」)で、同じく7月に3人姉妹の本格派ガール・グループ、ベニ・シスターズが「あなたを愛して」(元はカンツォーネの「Desidero Te」)で、8月に期待の大型タレント、木の実ナナが「東京キカンボ娘」で、10月にミッチーの愛称で親しまれた“奇蹟の13歳”、青山ミチが「ひとりぼっちで想うこと」でデビューしています。スゴい数!
あと、9月に坂本九に代わってパラダイス・キングに加入した16歳の九重佑三子も注目の新人と言えるでしょう。
この年にデビューした顔ぶれを見てみると、量ばかりでなく、伊藤照子麻生京子中尾ミエベニ・シスターズ青山ミチ等の本格的なシンガーも含まれおり、質的にもかなりれレべルが高かった事がうかがえるんではないでしょうか。
※ この熾烈な競争のなか'62年に日本でヒットした女性シンガーによる主なカヴァー曲は、我らが弘田三枝子の「悲しき片想い」や中尾ミエ一世一代の大ヒット「可愛いベイビー」等でした。

前年の反動でしょうか?'63年にデビューした女性ポップス・シンガーはほとんど見当たらず、目玉と言えるのは1月に“ボサノバ娘”として売り出された梓みちよが、「ボッサ・ノバでキッス」(オリジナルはポール・アンカの'62年全米19位曲「Eso Beso(That Kiss)」)でデビューしたくらい。ただし、皮肉?な事に梓みちよはボサノバでは成功せずに、田辺靖雄と組んだデュオ、マイ・カップルによる6月発売の「ヘイ・ポーラ」(オリジナルはPaul & Paulaの'63年全米1位曲)や11月にソロで発表した「こんにちは赤ちゃん」で大ヒットを出しています。
※ '63年に日本でヒットした女性シンガーによる主なカヴァー曲は、やはり弘田三枝子の3連発で去年から年をまたいでヒットした「ヴァケーション」、「想い出の冬休み」、「悲しきハート」や九重佑三子をフィーチャーしたパラダイス・キングの「シェリー」(オリジナルはThe Four Seasonsの'62年全米1位曲)等でした。

ご存知のように'64年はビートルズが世界中の音楽シーンをひっくり返した年であり、それによって英米のポップスも一気に衰退し、古臭いものになっていきました。したがって日本のカヴァー・ポップス界もカヴァーする対象を失い、いわゆるカヴァー・ポップス黄金時代も幕を閉じる事になるのです。また、直接日本にもビートルズ・サウンドが上陸した事による、国内の音楽事情の変化も一因であった事は言うまでもありません。ただ、弘田三枝子のこの時期のカヴァー曲を見ても分かるように、この頃からカヴァー・ポップス黄金時代と異なる新たな形態として、フランスやイタリア等のポップスが盛んにカヴァーされ始めますが...

最後に、日本で巻き起こったカヴァー・ポップス黄金時代の創出に大きな役割を担った2つの要素について見ておきましょう(もちろん主役の歌手以外で)。
まずは、冒頭でも少し触れたテレビの存在。ちょうどザ・ピーナッツがデビューした'59年にはヒット・パレード形式のポップス番組の草分け、『ザ・ヒット・パレード』がフジテレビで放送を開始しています(6月17日)。ヒット・パレード形式とは、当時ラジオの歌番組でも人気を得ていた形式で、視聴者からのリクエストによって曲にランキングをつける形式のこと。そのランキングされた外国のポップスを日本の歌手に歌わせていた『ザ・ヒット・パレード』の成功に刺激され、同局あるいは他局でも人気歌手等を司会に据えたポップス系の歌番組が飛躍的に増加します。“(スパーク)三人娘”を起用した『スパーク・ショー』(フジ)、斉藤チヤ子らがレギュラーを務めた『七時にあいましょう』(TBS)他多数。そうした中でカヴァー・ポップス(歌手)の人気が高まれば番組の視聴率が上がり、番組の視聴率が上がればまたカヴァー・ポップスの人気がさらに上がるといった好循環が形成されているので、当時のポップス番組がカヴァー・ポップスの隆盛に一役買ったということが言えるでしょう。

次に、外国のポップスに全く違和感のない日本語の歌詞を乗せた訳詞家(翻訳家)の存在も無視できません。もちろん以前から訳詞(家)は存在していたんですが、一部を除いてどことなく外国曲にマッチしないものが多かったし、オリジナル以上にヒットした日本語カヴァーが少なかったのも事実。
しかし、カヴァー・ポップス黄金時代に突入すると漣健児(=草野昌一、シンコー・ミュージックの前会長、故人)やみナみカズみ(=安井かずみ、故人)等の名訳詞家が登場し、従来にない新しい感性で外国曲のメロディーやビートにピッタリはまった日本語を乗せて、次々と日本語カヴァー・ヒットを飛ばします。草野昌一が漣健児のペンネームでポップスの訳詞デビューを飾った作品は、坂本九が大ヒットさせた'60年10月発売の「ステキなタイミング」(オリジナルはJimmy Jonesの'60年全米3位曲「Good Timin'」)で、その後の代表作は「パイナップル・プリンセス」、「可愛いベイビー」、「悲しき片想い」、「ヴァケーション」、「想い出の冬休み」、「シェリー」等々、カヴァー・ポップス黄金時代の特大ヒット曲のほとんどを占めています。ちなみに、みナみカズみは「悲しきハート」、「ヘイ・ポーラ」等を手がげています。
当時青春時代を過ごした人なら、口をついて出てくる歌詞はオリジナル曲のものではなく、日本語カヴァーの歌詞ではないでしょうか。この様に名訳詞家の活躍によって、多くの日本人が曲に違和感がなく楽しい日本語の歌詞に親しみを覚えて、カヴァー・ポップスの世界に足を踏み入れることとなり、その人気に拍車がかかった事は間違いないでしょう。

■ 今回の無料動画は'63年の第14回紅白歌合戦の映像でミコちゃんの「悲しきハート」を紹介します。
個人的には'82年のザ・ヴィーナスのアルバム『Just Pop Size』に収録されていたカヴァー・ヴァージョンも印象深いんですが、この映像の弘田三枝子も当時16歳なんてとても思えない堂々たる歌いっぷりは流石ですよね。
そう言えば、その『Just Pop Size』には大ヒット曲となった「キッスは目にして!」に続いてシングル発売された「Peppermint Love」も収録されていたんですが、シングル・ヴァージョンよりもコーラスやバックの演奏がよりオールディーズ・ポップスっぽくてかなりいい出来だったんですよね。彼らのオリジナル・アルバムには名作が多いんですが、ほとんどCD化されていないのでぜひCD化して欲しいものです。

では、話がそれましたが“パンチの効いた”ミコちゃんの歌で「悲しきハート」をどうぞ(笑)。

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コメント
この記事へのコメント
TBさせていただきました
弘田三枝子はオールディーズ期のカヴァー・ポップスを歌っていた日本人の中では最高峰のひとりといえますよね。本当に素敵です。(^^)

それにしてもsugarboyさんのブログは本当にものすごく詳しくて勉強になります。(^^)

TBさせていただきましたのでよろしくお願い致します。m(__)m
2007/07/23(月) 22:34 | URL | BYRD #NNxGKCIs[ 編集]
BYRDさんご無沙汰してます
BYRDさんも弘田三枝子好きでしたか。なんか嬉しくなってきますね(笑)

日本のカヴァー・ポップスも楽しくていいんですよね~。やはり弘田三枝子が1番かもしれませんが、他にも伊藤照子や麻生京子、ベニ・シスターズなんかも好きなんですよね。

BYRDさんは他にどのあたりを好むんでしょう。興味津々です。
2007/07/24(火) 01:10 | URL | sugarboy #L/3l8JBE[ 編集]
力作!
ここだけで日本のPopsの歴史が全て解る力作、名文・名解説!。もう専門書を読んでいるみたいです。朝比奈愛子が出てくるなんて腰抜かしちまう。
しかしファンには申し訳ないが色々な名前が挙がったけど彼女と比べたら月とすっぽんの雲泥の差。口で歌うか腹で歌うかの差。渥美清が国民栄誉賞獲ったかどうか知らないけど何か国家的な賞をあげてもおかしくなかった。まじ。当時、小泉さんが総理なら出したかも(笑)。今後絶対に出現しない20世紀最大の言葉は悪いが怪物。
2008/05/26(月) 02:56 | URL | nandakanda46 #ll/q85a.[ 編集]
やはり弘田三枝子は天才ですね。
仰る通り。歌唱力、迫力、リズム感といった点では当時の女性歌手の中で彼女がダントツですね。全盛期の彼女のステージなんか観れたら最高でしょうね(^^)
2008/05/27(火) 03:01 | URL | sugarboy #L/3l8JBE[ 編集]
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2007/07/23(月) 22:28:21 | BYRD'S SELECT MUSIC
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